思鋭館代表の出雲と申します。
 思鋭館は2009年2月17日に開校致しました。

 元々、ここ弥生台の同じ場所にあった塾、ワンツーワン個別学院弥生台校、スクールIE弥生台校は、私自身が経営していた塾です。ですから、開校というより、改名といった方が適切かもしれません。

 当初2001年3月にIE一橋学院弥生台校として開校しました。1対1や1対2で生徒を指導する個別指導塾としてスタートして以来8年間、成績を伸ばすにはどうすればいいのかをひたすら追求してきました。



成功体験


 私が学習塾の仕事を始めた理由は、自分の過去の成功体験があったからです。元々私は勉強のできる生徒ではありませんでした。特別な記憶力や集中力があるわけでもなく、小学生の時には、簡単な算数のテストでさえ、100点を1度も取ったことがなく、中学生の定期テストでは徹夜して頑張っても70点どまり、「自分には能力がないんだな〜」と何に対しても自信がもてない状態でした。

 中学3年生の時に、ある教材を友達に紹介され、1日1教科につき、20〜30分くらいでしょうか、その教材をコツコツと取り組み始めました。内容はとても基本的で、かつ同じような問題が繰り返ししつこく出てきて、「またこれ?こんなこともう分ってるよ」とぶつぶつ独り言を言いながらも3年の1学期の中間テストまで取り組みました。

 そして中間テストがきました。自分では結構できた気がしていましたが、これまではそんなときにも70点止まりだったので、そんなに期待はしていませんでした。しかし帰ってきた答案を見てびっくり、ほとんどの科目で90点を楽に超えていたのです。

 この時、はっきりと成績を上げるための勉強方法が自分の中で確立されました。


 そのままコツコツとした勉強を続ければ良かったのですが、高校生となり、1,2年生の頃は、部活動に夢中になり、勉強はほとんどしませんでした。実は、部活動に夢中というよりは、真面目に勉強することがとてもかっこ悪く思えたのです。高校の勉強は、中学とは違い、サボるとほとんど点が取れません。赤点を連発して、学年最下位争いをしていました。

 しかし、なぜか高校2年の3月に突然「勉強しなきゃ!」と目覚めました。まず目標設定と計画作成です。志望校は、自宅の目の前にあり、授業料も安く親に迷惑が掛からないように国立の金沢大学、学部は文系が苦手だったので理学部、学科は化学だけはなぜか点数が良かったので化学科と、特に夢ややりたいものがあったわけでもない高校2年生の私はとても短絡的に志望校を決めました。

 この時点では、偏差値は40以下、志望校に合格する為には20以上足りません。ほとんど積み重ねのない0からのスタートでした。そこで学校のある日は家に帰ってから7時間、休日には13時間の学習計画を立てました。それからは計画通りにちょうど1年間ひたすら勉強に取り組みました。

 当時(30年前)、地方の高校生には塾など無く、予備校は浪人生向けで、現役高校生は皆、学校の授業と自宅学習で受験勉強をしていました。この時に中学3年のときに身につけた勉強方法が非常に役立ちました。新しく習ったことを自分のものにしてテストに完全に反映させるのには、どのくらい繰り返せば良いかが身についていましたので、無駄な時間をいっさい使えないため、一度解ったことは二度と忘れないように、計画的な繰り返し学習を行いました。

 その当然の結果として、1年間で5教科7科目3年分の学習量を身につけることができたのです。偏差値は20以上上がり、学年の順位もほとんど最下位の350番からトップクラスへと上がり、無事に現役合格することができました。

 この受験での成功体験はその後の人生にも非常に役に立つことになりました。


脳力開発との出会い

 26歳くらいの時に、脳力開発というものを知りました。最初は、「思考力や記憶力が上がる」、「本を速く読める」など、『自分の頭が良くなる』ということに対して、半信半疑でした。しかしトレーニングを続けることによってその疑念はなくなり、自信と精神的なゆとりがついていきました。

 1ページを1秒見ただけで、全てが理解できるというような神業的な速読はできませんが、10文字程度のまとめ読みができるようになりましたので、読書スピードは5倍以上にはなったと思います。さらにパソコンから高速で流れてくる音声を聞きながら、本を読む高速読書のトレーニングによって、英語が楽に聞き取れるようになりました。

 これらの脳力開発と受験の時にマスターした学習法によって、学生時代に苦手だった英語を克服し、TOEICの点数を大きく伸ばし、当時務めていた会社において2回連続で、最高得点アップを記録し、表彰されました。努力すれば、勉強はできるようになります。しかしそれに加え、脳力を伸ばす事により、可能性が大きく広がっていくことを実感しました。

 この経験がのちに速読トレーニング(高速読書)を導入するきっかけになったのです。



泉 忠司先生との出会い

 泉忠司先生は、中高生に絶大なる人気を誇る恋愛小説「クロスロード」、30万部のベストセラー作家であり、青山学院大学などで教鞭をとっている英語講師であり、ミュージカルの脚本家、主演男優、映画のプロデュースまでやる本当のスーパーマンのような人です。加速学習は、この人との出会いから始まりました。

 泉先生は高校3年時にわずか3ヶ月で偏差値30から65に、さらにその3ヵ月後には、
河合塾模試で全国
1番を取ったありえない経歴の持ち主で、ドラゴン桜のモデルになった
方です。泉先生に直接その劇的な成績向上の秘訣を、居酒屋で2時間伺いました。

 参考になる話をたくさん伺いましたが、その中で2番目に印象に残ったのが、
「問題集を使うときには、最初に全て答えを書き込んでからにする」です。なぜかと言う
問いには、「もし一生懸命考えて、間違った答えを出すとします。すると間違った答えを出
すのに、膨大な時間と、頭のエネルギーを使います。脳は、一瞬見た正解よりも膨大な
エネルギーを使った不正解の方を憶えてしまう」そうです。

 ほとんどの学生が一般的な学習法である「考えて、自分で問題を解いてから答えを見る」方法で勉強していると思います。全国ほとんどの塾でもこの方法で指導していると思います。この方法がどれだけ非効率かを知っている指導者もまたほとんどいないということです。

 しかし一つだけ、答えを先に書き込んではいけない科目があります。それが国語です。国語は答えを見ないで、自分の力で答えを探すことにより、力がついていきます。


公立中学生自立学習への移り変わり

 2001年開校当初は、個別指導の形態を講師と生徒1対1あるいは、1対2で行っていました。2006年のワンツーワン個別学院に改名した時に、公立中学生に対して、講師が指導の主体になるのではなく、生徒自身が学習を進める主体となる自立型の学習に変更しました。

その理由はいくつかあります。
 @ 1対1、1対2の指導形式では、講師に対する経費が大きく、90分という限られた時間での指導となり、成績を上げるために本当に必要な演習量が確保できないこと。そのため、真面目に宿題に取り組まない生徒の成績はほとんど上がらない。
 A 指導方法は、講師にほとんど依存せざるを得ないため、講師ごとの指導のばらつきが大きいこと。
 B 成績を上げるために週回数を増やすと授業料が非常に高くなり、心苦しいこと。

 公立中学生の学習では、思考力を試される問題は本当に少なく、講師が丁寧に説明しなければならない問題は、ほとんどありません。生徒が自ら解説をしっかり読めるような工夫をしてあげれば、始めて習う単元でも生徒自身で理解することは、けっして難しいことではありません。

そこで、生徒にできるだけ自立してもらい、講師経費を押さえることにより、授業時間を1.5倍の135分にして、さらに授業料も安くしたことで、十分な問題演習ができるようになりました。この結果、宿題をやってこない生徒でも成績が劇的に伸び始めたのです。偏差値40から60へ、50から70へ、定期テスト5教科の合計で200点以上伸ばした生徒も出てきて、いずみ野、岡津、領家の各中学で一番成績を上げた生徒を輩出しました。



記憶術との出会い

 記憶術なるものは、数年前に知りました。記憶の苦手な生徒にどうにかできないかと思い、講義や書籍で研究しました。私自身は、記憶術をかなりマスターできました。しかしそれをそのまま生徒に教えても、マスターする生徒はなかなかいないのが現実です。記憶術には、馬鹿げた発想力とそれを補う豊富な語彙力が必要なのです。そこで、生徒には記憶するときのエッセンスを指導しています。


山本ヒサオ先生との出会い

 山本ヒサオ先生は、広島の塾の先生ながら、中学受験国語指導のために東京に支部を持ち、短期間で国語の実力を劇的に上げる「国語の森」メソッド、「錬の国語」メソッドを開発した国語指導のプロ中のプロです。今年の春も、武蔵、桜蔭などの御三家に何人もの大逆転合格者を出しました。
 
 山本ヒサオ先生とは、4年前に出会いました。山本先生が横浜で中学受験生に直接指導するオープセミナーに参加させていただいたのがきっかけです。

 この先生との出会いが国語指導のノウハウを確立するきっかけとなりました。



国語力育成 思鋭館の誕生

 私は国語が苦手で非常に苦労しました。中学高校時代、国語の苦手を克服するために、いろいろな人に国語の勉強法を聞いたことがあります。その時の答えは、「本を読めばいい」、「新聞を読めばいい」。今思うと、国語の効果的な学習法を知っている人は、私の周りにはいなかったのだろうと思います。結局、国語は大学入試でも平均点を超えることができませんでした。

 大学に入ってからも、教育原理の単位で、今思うと恥ずかしいくらいのひどい論文を書いてしまい、結果「不可」をいただきました。
 社会人になってからも、文章を書くことは常につきまといました。上司や顧客に提出する報告書、管理職になってからは、部署の方針や顧客への提案など、書いた文章の良し悪しで仕事の成果が大きく影響されていくのを感じました。そしてなにより昇格試験は、論文で評価されました。論文がちゃんと書けない私は、何度も昇格試験で落とされてしまったのです。

 文章がちゃんと書けないと自分の給料は上がらない、そして粗末な文章を書くと、いろいろな人に迷惑をかけてしまうのが社会人の現実でした。
 
 3度目に昇格試験に落とされた時でしょうか、これではいけないとやっと目覚めました。(かなり遅い目覚めですが) 論文を1からしっかり勉強し直し、次の年には、見事2階級一度に昇格したのです。年収で200万くらいの違いがでたのではないでしょうか。ここでの論文の勉強は、その後の海外とのビジネスにも非常に役に立ちました。

 このように私は国語でとても苦労しました。そこで塾の仕事を始めてからは、国語の効果的な指導方法はないものかと、いろいろ研究をしたのです。出口汪先生の「論理エンジン」をはじめ、いろいろな教材を研究しましたが、結局は、「如何に文章の一字一句をしっかり読むませるか」ということに気がついたのです。そのメソッドを確立してからは、生徒の国語がすくすくと伸びるようになり、中学受験の生徒の国語の偏差値も皆一様に伸びていきました。
 
 さらに『文章を論理的に書けるようになる』メソッドを確立し、『文章をしっかり読んで書く』という思鋭館の原型ができあがりました。

 国語が苦手であった自分を、客観的に振り返ると、思慮が浅く、精神的にとても幼かったと思います。今、国語が苦手な生徒を見ていても、思考力の弱さを感じざるを得ません。言葉でしか人間は考えることができません。国語力を鍛えることは、思考力を鍛えることであり、論理的な文章を読んで、それについて考えることや、文学的な文章を読んで人の心の中を窺い知ることは、人の成長に欠かせないことではないかと、それは社会に貢献し、人生で成功する上で不可欠なものではないかと、これらが思鋭館を立ち上げるきっかけになったのです。


思鋭館の名前の由来


 『思鋭館』の名前の由来は、『試衛館』から来ています。『試衛館』は、幕末に活躍した新撰組近藤勇が館長、沖田総司が塾頭を勤めていた剣術道場です。漢字を思鋭館に改め、思考力を鋭くする道場のようなイメージで名づけました。

 勉強も剣術のように、塾生同士切磋琢磨して技を競い合うような塾にしたいとの願いを込めました。



さいごに

 今の私が、小学生の自分に指導するなら、国語を中心とした指導により、読書を習慣化し、速読力、語彙力、文章力を付けさせます。中学生や高校生であった自分に指導したなら、加速学習、速読、記憶術により、半分の時間で倍の成果を出せたと思います。

 今、私には
小2になった娘がいます。遊びたい盛りで、勉強にはさほど興味を示しませんが、娘と同様に生徒たちに思鋭館の指導で最高のギフトをあげたいと切望しています。



思鋭館 代表より
室長のプログ